Monday, March 29, 2010

Priscilla of Boston Opens

For all its fame as a destination for designer wedding gowns, Miracle Mile is rather lacking in flagship salons by bridal's biggest names. But legendary couturier Priscilla of Boston (late designer Priscilla Kidder dressed two First Daughters for their White House weddings, as well as Grace Kelly's bridesmaids) is setting up shop on the mile - and who knows who might follow suit. 348 Miracle Mile, Coral Gables, 305.447.6807 or www.priscillaofboston.com.

Tuesday, November 3, 2009

Do list mailing trades.

Trade a mailing with another list owner.

They mail for your list. And you mail for theirs. No money has to be exchanged. You don’t need to be an affiliate.

Simply find other publishers with list sizes comparable to yours…and mail for one another.

Instead of promoting a product, promote the freebie they get for signing up for your list. I have a couple of clients that used this as one of their primary list building methods. They built up a basic list (of a few hundred) and then immediately set to growing their list by finding others to cross-promote. They’re growing their lists by hundreds every week (at zero cost).

Thursday, June 11, 2009

デジタルパーマ

デジタルパーマ(形状記憶パーマ)

最近話題になることの多いデジタルパーマ。実は登録商標です。ですから本当は「デジタルパーマです」と名乗るためには商標元の機械であるデジタルフ リーという機械を使ってかけたものでなければデジタルパーマとは呼べないことになっているんですね。しかしこのデジタルパーマという言葉が急速に一般に浸 透する速度が早すぎて、いまでは正式名称である形状記憶パーマよりも呼び名が普及してしまいました。ここではそんなデジタルパーマについて紹介してみま しょう。

Monday, May 11, 2009

横浜クラブ

1964年に横浜中区スポーツ少年団として創設、当初は小学生から社会人の各年代のチームを擁する市民クラブであった。 1975年に横浜サッカークラブに改称。1979年から全日空が資金援助を行い名称も横浜トライスターサッカークラブ (当時の全日空の主力機であったロッキードL-1011 トライスターをもじった)と変更された。1984年に日本サッカーリーグ(JSL)1部昇格を決めた事を契機に、全日空は完全出資会社「全日空スポーツ株式会社」を設立し、全日空横浜クラブに改称、本格的な経営に乗り出した。

しかし1985年シーズンのJSLでは最下位と低迷を続け、来期に向けた選手との契約問題の縺れからボイコット事件(後述)が発生し選手や関係者が処分される事態に発展する。

その後、名古屋相互銀行や永大産業で選手、指導者経験のある塩澤敏彦を監督に迎えるとクラブは躍進を続け、1988年に1部へ復帰すると全日空サッカークラブに改称。前田治やモネールらを擁して1988-1989シーズンには2位、翌1989-90シーズンは3位に入る健闘を魅せた。この成功を受けて新卒選手の獲得が容易となり、以降も安定した成績を残し続けた事が1993年からのJリーグ参加に繋がったと云える。

1991年に塩澤に代わって日産自動車の監督として実績のある加茂周が監督に就任。加茂は当時世界最先端の戦術であったゾーンプレス[1]を導入する為、スロベニアからズデンコ・ベルデニックをコーチとして招聘し戦術の浸透に務めた。

また2006年シーズンまで横浜F・マリノスが練習グランドとして使用していた戸塚グラウンドは元々中区スポーツ少年団時代から全日空が使用していたグラウンドであり、2007年からJ1に昇格した横浜FCが使用を開始したのに伴い、言わば「里帰り」を果たすことになった。

Tuesday, April 28, 2009

貝取りジョレン

貝堀ジョレン(潮干狩り用貝取りジョレン

貝堀ジョレン

ジョレン3Lカゴ部(下)

本品は当店指導の下、中国で製作したジョレンです。品質、価格には絶対の自信がございます。
特殊ジョレン、熊手のオーダー製作も行います。
またジョレン前部のリング取付け、ジョレン歯部の板付け補強などの改良、修理も可能です。(費用別途)
ジョレン修理の場合には、柄を取り外しジョレン本体籠部分をお送り下さい。ほとんどの場合送料のみのご負担で対応いたします。(当店での御購入者、購入品に限る)
発送前にご連絡ください。
修理期間は到着後、3営業日以内修理発送となります。
鉄ジョレン欠品中

Wednesday, April 1, 2009

ほくほく線

ほくほく線には上越新幹線と接続して越後湯沢駅と北陸地方の各都市を結ぶ特急「はくたか」が運行されている。1997年にほくほく線が開業して以来、富山県・石川県方面と関東方面を鉄道で移動する場合は、本路線を通る特急「はくたか」と上越新幹線を越後湯沢駅で乗り継いで利用する方法が最も短時間であることが多い。

日本の地方私鉄は全国的に赤字になっている路線も多いが、ほくほく線は毎年数億円の黒字となっており、地方の鉄道会社の路線としては利益の大きい部類に入る。全体の9割が特急による収益で普通列車の収益は全体の1割にも満たない。

2001年度の営業収支率は73.0%であり、第三セクター鉄道の中では経営状態は良好であるが、2014年度に北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間が延伸開業する際に、利用者が新幹線へ大幅に移行することが確実視されており、沿線利用者の確保や活性化が課題となる。

踏切が両端の起点・終点にあたる犀潟駅付近と六日町駅付近に各1か所あるのみで他の区間にはないことが高速走行を支えており、特急は在来線では日本一速い最高速度160km/hで運転される。また、普通列車は高速・高加減速性能を持つ車両(最高110km/h)で運転され、駅構内を除き全線単線であるほくほく線内で、後続の特急に追いつかれることを極力防ぐダイヤが設定されている。それでも速度差があるため、ほくほく線内で追い越しが行われる場合もあるが、駅以外にも、トンネルの中で特急列車が普通列車を追い越すことが可能な信号場が線内に3箇所存在する。なお、トンネル内に追い越し設備があるのは、高速で走行できるようにできるだけ線形を直線に近くした結果、トンネル区間の割合が多くなったためだが、沿線は豪雪地帯であることから、雪によるポイントの不転換、待避停車中のパンタグラフへの着雪を防止するといったメリットもある。

起点・終点駅である六日町駅・犀潟駅と十日町駅以外は、すべて無人駅である。

Thursday, March 26, 2009

糟糠の妻

30年間ずっとカープファンだった僕なのですが、昨日はこのニュースが気になって、ほとんど眠れませんでした。

「まあ、ちょっと拗ねてるみたいだけど、結局最後は残留してくれるはず。それより黒田の穴をどう埋めるかなあ……」というのが新井の去就に関する僕の感覚でした。

地元出身で、「ずっとカープファンだった」ということや「駒澤大学時代は「とてもプロに入れるレベルではなかった」(他球団のスカウトは、新井指名に失笑していたそうです)選手にもかかわらず、先輩の野村謙二郎の強い勧めでカープに指名され、その後も打てず守れずの酷い状態だったのに山本浩二監督がファンの批判の集中砲火にさらされながら起用し続けたおかげでこうして一流選手の仲間入りできたという経緯、昨年は「生涯カープ宣言」までしていることからも、「いくらなんでも、新井が出て行くようじゃ、今後FA権を獲得してカープに残留する選手はいなくなるよなあ」と思っていましたし。

「残留して後悔したくなかった」

「環境を変えて前に進みたかった」

「一野球人として自らを厳しい環境に置き、その中で自分がどう変われるかという挑戦する気持ちが出てきた」

要するに、カープに残留すると「後悔」しそうだし、「前に進めない」し「ぬるま湯のような環境」だということらしいです。すごいなこの人。ウソつくにしても、もうちょっとマシな言い方もありそうなものなのに、カープファンに後ろ足で砂かけまくって逃亡かよ。

他球団ファンの人にはわかりにくいと思うのですが、カープファンにとって、新井というのは、本当に「カープファンに愛されていた選手」だったのです。阪神ファンに方は濱中を思い浮かべていただければよろしいかと(もちろん、カープファンの新井への思い入れは、その10倍はあると僕は思っていますが)。本当に「打てない、守れない」時代から、カープファンは新井に罵声を浴びせながらも、その愚直なまでの野球にうちこむ姿勢(に見えたんですよ当時は)に心を動かされ、「いつかすごい選手になる!(…かもしれないし)」あるいは、「でも、他に4番を打てそうな選手もいないし」と、新井を応援し続けてきたのです。2005年のシーズンにホームラン王を獲ったときには、「これは1年だけの『確変』ではなかろうか…」とみんな心配していましたしね。というか、そのシーズンの途中でさえ、「いつ打てなくなるか……」と不安だったものなあ。

 ほんと、新井っていうのは、カープファンにとっては「ダメだった時代からずっと見守ってきた愛すべき選手」だったんですよ。そして、そのダメだった時代をともに耐え抜いたという意識があるからこそ、愛着もひとしおだったのです。

でも、新井はそんなファンの気持ちを裏切って、某人気球団への移籍に踏み切ろうとしています。

このFA宣言がカープファンに与えている衝撃は、一野球選手の裏切りというよりは、「人間不信」のレベルにまで達しているようにすら思われるのです。

 僕がこの新井のやり方を見て思い出したのは、Mr.Childrenの桜井和寿さんの「裏切り」のことでした。

 桜井さんは、Mr.Childrenが売れてまもなく、無名時代からずっと彼の才能を信じて応援してくれていたレコード会社の社員である女性と1994年に結婚したのですが、その結婚生活は長く続かず、1997年に「ギリギリガールズ」のメンバーの一人との不倫が発覚し、結局、「糟糠の妻」と別れて「ギリギリガールズの人」と再婚しました。

この話を聞いたとき、僕は「桜井ってヤツは、売れたとたんに『糟糠の妻』を捨てて芸能人と不倫なんて、最低の人間だな」と、すごく不快になったものでした。まあ、世間的にみても、「美談」ではありえない話ですよね。

でも、あれから10年経って、僕にもその「理由」が、なんとなくわかるような気がしました(というか、僕の勝手な思い込みかもしれませんが)。

糟糠の妻」って、自分が成功してみると、けっこう「ウザイ」ものではないのかな、と。

 もし僕が桜井和寿だったら、と考えると、せっかく自分の曲が売れて評価されるようになったのに、妻からはずっと「売れなかった頃のあなたは……」なんて、ずっと「昔のあなた」であることを押し付けられるのは、あんまり居心地のいいものではないですよね。

いや、桜井さんの前妻がそんな人だったかどうかはわからないのですけど、成功した人にとっては、「昔のダメだった自分を知っていて、ずっとそういう目線で見ようとしてくる人」っていうのは、傍にいるだけで、だんだん邪魔になってくるのではないかな、という気がするのです。

「恩知らず」な話だけれど、「恩」だけで愛情というのはキープできるわけじゃないし、身近なだけに、かえって束縛され、抑圧されているように思えてくるのではないかなあ。

新井の「裏切り」というのは、もしかしたら、「カープファンに愛されすぎたゆえ」なのかもしれないな、と僕は感じています。「昔のダメな時代から応援してやってたのに!」と僕らは思っているのだけれど、新井としては、いつまでもカープで「糟糠の妻」に小言を言われ続けながらやっていくより、新天地(というかたぶん阪神)で、昔のことなんて知らない人から、「先天的なスター」として扱われたい、という気持ちがあるのではないかと。

俺はこんなに凄い選手になったのに、カープファンはいつまでも「昔は打率2割でエラーばっかりの粗いさん」扱いだ、とか思っているのかもしれません。それを、自分で認識できているかどうかはさておき。

 そもそも、カープファンは、今年の新井のFAに関して、昨年の黒田に対するような「大残留キャンペーン」は行いませんでした。新井自身が「生涯カープ」と去年宣言していたこともあり、ファンも「新井は大丈夫だろう」と油断していましたし、去年の黒田のFA騒動で、みんな疲れ果ててもいたんですよね。あれは本当に「美談」だったけれど、ファンとしては、「これから毎年誰かが出ていきそうになるたびに、あんな大キャンペーンをやらなければならないのか?」とも感じていたのです。

でも、新井自身は「自分に対する『残留コール』の少なさ」に、傷ついていたのかもしれません。

 もし、去年の黒田に対するものと同じくらいの熱さで新井に「残留コール」を送れていたら、新井は残留していたのかも。

 黒田がたった1年でメジャー挑戦に傾いてしまったことを考えると、もしかしたら、カープファンは、残留のために力を傾注する相手を間違っていたのかもな、とも思います。

僕は(元)カープファンとして、新井を人間として軽蔑しますし(もちろん、桜井さんもその点に関しては「情けない人間」だと思っています)、「嫌いで出て行くんじゃない」なんて言われると、「くたばれ偽善者!」という怒りすら湧いてきます。問題は、「好きか嫌いか」じゃなくて、「出て行くか出て行かないか」なんだからさ。こういうのって、まさに「不倫男の言い訳」だよね。

でも、「新井が出て行きたい理由」というのも、頭ではわかるような気もするんだよ。わかるだけに、それでも残る、と言えず、さらにカープファンを傷つけるような言葉を羅列して出て行くこの男を許せない。僕にとって、新井は「世界一嫌いなスポーツ選手」になりました。亀田一族を金鯱賞のサイレンススズカくらいぶっちぎっての圧倒的な第一位。

僕はもうカープファン、いや、野球ファンをやめるつもりです。こんなことでこんなに悲しくて悔しい気分になるのは、もうたくさんだから。この件で、「それでもカープを応援する」っていうのは、結局のところ、現在のプロ野球のシステムを追認することにしかならないような気がするから。

新井も、あんなに愛されなければ、こんなに憎まれることもなかったのだろうけど……